渡辺美里/10years

2007年5月27日 音楽
「ちょっと古いアーチストのPVやライブ映像」というピンポイントな分野に関しては、まだyoutubeに一日の長があるな。ライブラリ数が全然違うや。

渡辺美里-10years(西武FINAL)
http://www.youtube.com/watch?v=1ipF3b1J0C0
そんなわけで唐突ですが本日は渡辺美里の「10years」の全詞解説です。
空一面広がった夕焼け見てたら もう二度と会えないような気持ちになった
二人並んで笑った写真 届かない引き出しに仕舞わなくちゃ

最初のワンフレーズで唄の情景を鮮やかに思い描かせる優れた出だしです。2小節目でどうやら別れの唄らしさを匂わせておりますがこの時点では保留です。
あの頃は何もかも大きく見えた あの頃は何にでもなれる気がした
遮断機越しのぼやけた景色 気が付けば母の背を追い越していた

ここでは「現在の年令」と「”あの頃”の年令」が問題になります。
現在の年令は、当時の美里そのままを素直に詞に投影してると考えて問題なさそうなので20歳前後で確定。
「あの頃」は曲のタイトルが「10years」であることから10年前なのは間違いないでしょう。
「遮断機越しのぼやけた景色」つまり「あの頃」は目線の高さに遮断機があるぐらい背が低かったのに、今は母の背を追い越してしまった、時の流れを短いフレーズに凝縮させて実感させる部分です。

なお、遮断機の高さに目線があるって10歳にしては相当背が低くないか?という疑問がありますがここではスルーです。
あれから10年も この先10年も 振り向かない急がない立ち止まらない
君だけを僕だけを愛した時を 今も誇りに思うよずっと誇りに思うよ

サビです。シンプルなようですが解釈は難易度高いです。
最大の問題は「君」と「愛した時」の具体的な時期です。
Aメロで10年前を10歳と推論づけたわけですが、10歳で「愛した」はちょっと違和感です。しかし「あれから10年も」と唄うからには10年前に既に知り合いである公算が高いわけで。
すなわち「君」とは「幼馴染」でいつからか愛し合うようになった関係、とするのが合理的かと思われます。

どうでもいいが僕っコなんだな...。
今までと違う自分になりたくて 前髪を揃えたり服を着替えても
君が傍にいない寂しさ 自転車のペダルにも伝わってくよ

2コーラス目。この曲で個人的にイチバン好きで、また情報量の多い歌詞です。
「前髪を揃える」=髪を切る=失恋、というのは「垂乳根の」が母の枕詞であるくらい日本語として確定的に明らか。ここでようやくこの曲が「失恋曲」であると断定できるわけですね。
この「髪を切る」を「前髪を揃え」と表現するのは美里らしい表現であるといえますが、同じアルバムに「彼女が髪を切った理由」というまんまな唄がありまして。その中で「彼女が髪を切った理由を/ありふれたことと笑わないで」つってるんですねー。アイロニーですね。
そして「自転車のペダル」という一見意外なガジェットを使うことで、日常の中ふと現れる喪失感・寂寥感を美里っぽく表現してると思われます。
「大きくなったらどんな大人になるの?」周りの人にいつも聞かれたけれど
時の早さについていけずに 夢だけが両手から零れ落ちたよ

ここは時間の流れを強調する役目のパートです。
つーか身につまされる歌詞杉。
あれから10年も この先10年も 行き詰まりうずくまり駆けずり回り
この街にこの朝にこの手のひらに 大切なものは何か今も見つけられないよ

言い忘れましたがサビは1コーラス目も2コーラス目も韻を踏んでいます。韻とは「引かぬ媚びぬ省みぬ!」とかで有名なアレですね。
この唄の場合、サビの2箇所で3連韻を踏むことによって畳み掛けるような効果を出し、必死さ切実さを生んでるように思えます。
あれから10年も この先10年も 振り向かない急がない立ち止まらない
君だけを僕だけを愛した時を 

あれから10年も この先10年も 行き詰まりうずくまり駆けずり回り
この街にこの朝にこの手のひらに  大切なものは何か今も見つけられないよ

間奏を挟んでのコーダ部分です。
サビをリフレインすることで3連韻が4回繰り返されており、畳み掛けが最高潮に達します。
この時期の美里の声が、喉から搾り出すような細くて切なげな声だったことと相乗効果を成し、郷愁的でセンチメンタルな紛れもない名曲だった、と断言できるでしょう。
 
 
 
*さて、どうでもいい前置きはこのぐらいにして本題ですが...............

...ん〜、やっぱいーやw

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